福岡地方裁判所 平成2年(行ウ)11号 判決 1992年10月29日
北九州市八幡西区浅川台二丁目六番一七号
原告
川谷重昭
右訴訟代理人弁護士
松阪徹也
右同
岩田務
同市八幡東区平野二丁目一三番一号
第一、二事件被告
八幡税務署長 飯田稔
東京都千代田区霞が関一丁目一番一号
第三、四事件被告
国
右代表者法務大臣
田原隆
右被告ら指定代理人
斎藤博志
右同
坂井正生
右同
西田勝彦
右同
木原純夫
右同
樋口貞文
右同
荒津恵次
右同
白濱孝英
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
(第一、二事件)
一 被告八幡税務署長(以下「被告署長」という。)が昭和六三年一二月二三日付でした、原告の昭和六〇年分所得税の決定のうち総所得金額六四〇万〇二五三円を超える部分及び納付すべき税額並びに無申告加算税賦課決定(ただし、いずれも平成元年一二月二五日付審査裁定により一部取り消された後のもの)をいずれも取り消す。
二 被告署長が昭和六三年一二月二三日付でした、原告の昭和六一年分の所得税の更正のうち総所得金額三六四万五八〇〇円を超える部分及び納付すべき税額並びに過少申告加算税賦課決定(ただし、いずれも平成元年一二月二五日付審査裁定により一部取り消された後のもの)をいずれも取り消す。
三 被告署長が昭和六三年二月二三日付でした、原告の昭和六二年分の所得税の更正のうち総所得金額五五八万二一九〇円を超える部分及び納付すべき税額並びに過少申告加算税賦課決定(ただし、いずれも平成二年二月五日付更正処分及び賦課決定処分により一部取り消された後のもの)をいずれも取り消す。
四 被告署長が平成二年二月九日付でした、原告の昭和六三年分の所得税の更正のうち総所得金額五八六万五一〇〇円及び納付すべき税額一三万〇五〇〇円をそれぞれ超える部分並びに過少申告加算税賦課決定をいずれも取り消す。
(第三、四事件)
被告国は、原告に対し、金一九九五万六九〇〇円及び内金一三一七万〇九〇〇円に対する平成元年六月二八日から、内金六七八万六〇〇〇円に対する平成二年四月一〇日から、各支払済みまで年七・三パーセントの割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、原告の昭和六〇年分ないし昭和六三年分の所得税について、被告署長が原告の株式の継続取引に伴う所得を雑所得に該当するとして課税対象としたことを違法であるとして原告が右部分の課税処分等の取消を求めるとともに、右違法な課税処分等に基づき、福岡国税局長によって徴収されて納付した金員が不当利得であるとしてその返還を被告国に対して求めている事案である。
一 争いのない事実等
1 本件に関する各年分の税額確定手続等の経緯、申告、更正処分、審査裁決並びに無申告及び過少申告加算税の賦課決定処分(以下「本件更正処分等」という。)にかかる金額等については、別表一ないし四のとおりである。
2 原告は、係争各年分において、前田証券株式会社門司支店(以下「前田証券」という。)及びコスモ証券株式会社北九州支店(以下「コスモ証券」という。)を通じて有価証券の継続的取引を行っていた。そして、被告名義(ただし、コスモ証券における取引は一部原告の妻川谷ハマ子名義を含む。)の係争各年分における株式の売買回数及び数量は、少なくとも昭和六〇年分が九二回で四五万九〇〇〇株、昭和六一年分が八〇回で三六万四〇〇〇株、昭和六二年分が一一三回で五八万四〇〇〇株、昭和六三年が五七回で四六万七〇〇〇株の範囲では、当事者間で一致している。
3 ところで、原告は、長年日本国有鉄道に勤務し、昭和六一年三月一日に退職後は、会社役員として常勤しており、有価証券の売買は事業として行っているものではなく、事業に該当するほどの規模ではないので、原告の有価証券の継続的取引から生ずる所得は雑所得に該当する。
4 係争各年分の総所得金額、納付すべき税額等に関する被告の主張は別表五のとおりであるところ、原・被告間に争いがあるのは、雑所得の金額及びそれに基づいて計算される納付すべき税額のみであり、別表五に挙げられていない税額の計算根基については当事者間に争いがない。
5 福岡国税局長は、平成元年六月一二日、原告の前田証券への顧客勘定預け金一三二四万〇〇六五円及びコスモ証券への委託保証金三〇五万七三〇九円をそれぞれ差押さえ、前者については同日、後者については、同月一五日にそれぞれ収納した。また、同局長は、平成二年二月五日付昭和六二年分所得税減額更正に基づき減少することとなった二三万二五〇〇円(本税二〇万二五〇〇円及び過少申告加算税三万円)を同日付で、さらに、平成元年一二月二五日付裁決に基づき減少することとなった九〇万三八〇〇円(昭和六〇年分ないし六二年分の本税及び過少申告加算税の合計額)を、平成二年二月九日付けで、それぞれ昭和六二年分及び同六三年分の所得税に係る滞納額に充当し、原告は、その残額として平成二年三月九日に四七万〇七〇〇円を納付した。
二 争点
原告名義の株式取引は、実質原告の取引であるのか、弟ら二名の取引も混在しているのか、したがって、その売買利益は、すべてが原告に帰属するのか、それとも原告の弟らに帰属するものも含まれているか。
1 秀範、年和は原告に対し、昭和五四年前後ころ、各三〇〇万円を交付したのかどうか。
2仮に右1が認められる場合、それは株式取引の委託金として原告に交付されたのかどうか。
(原告の主張)
原告の株式取引は、原告名義でされているが、前田証券を通した原告名義の取引の中には原告の実弟である川谷秀範(以下「秀範」という。)及び川谷年和(以下「年和」という。)から各三〇〇万円ずつを預かり、両名のために原告名義で株式運用したものが混在しおり、実質原告自身に帰属する売買回数及び数量は、昭和六〇年分ないし同六二年分については所得税法施行令(昭和六二年政令三五六号改正による改正前のもの)二六条二項に規定する有価証券の継続的取引の基準である「売買回数五〇回以上、かつ、数量二〇万株以上」の要件には該当せず、また、同六三年分については右改正後の所得税施行令同条同項に規定する「売買回数三〇回以上、かつ、数量一二万株以上」の要件には該当しないから、所得税法(昭和六三年法律第一〇九号による改正前のもの)九条一項一一号イに規定する非課税所得となり、原告の課税対象とはならない。
(被告署長の主張)
本件における株式の売買は、実質原告一人に帰属するものであり、原告が秀範、年和から各三〇〇万円の交付を受けて両名のために株式取引をしたことはなく、原告の右主張は単に原告が課税を免れるためにされたにすぎない。
仮に、秀範、年和が原告に金員を交付していたとしても、それは単なる金銭消費貸借にすぎず、株式運用資金として委託したものではない。
第三争点に対する判断
一 秀範、年和の原告に対する金員の交付の有無について
1 原告は、秀範、年和が昭和五四年ころに原告に対し各三〇〇万円を交付した旨主張する(ただし、年和については、原告が年和から借り入れていた金員を委託金として流用したり、地産トーカンの株式に割り当てた旨主張している。)。
確かに、原告の主張に沿った証拠(甲一、二の各1、2、証人秀範、同年和、原告本人―以上いずれも第一、二回)も存在する。
2 しかし、他方、
(一) 原告本人尋問によると、原告は、被告署長の昭和六〇年分ないし同六二年分の原処分調査時及び被告署長に対する異議申立の際に、税理の専門家である岡田税理士を代理人に選任していたにもかかわらず、被告署長の担当係官に対し、原告名義の株式取引の中に秀範、年和から預かった資金による株式取引が含まれているなど、本訴で主張するような事実はまったく主張、説明せず、また、これにかかる資料も提出しなかったことが認められる。
(二) また、証人秀範は、右金員の出所について「右金員のうち昭和五四年一月に交付した一五〇万円は、昭和五一年一月に死亡した亡父の香典の残りを現金のまま自宅で保管していた。右香典には千円札が多かったのでスーパーの事務員をしていた妹に頼んで一万円札に両替してもらった。」旨供述しているが、一五〇万円という多額の金員を、金融機関に預けたりすることなく三年間も保管していたとは考え難く、不自然な供述といわねばならない。
(三) さらに、証人年和は、昭和五八年に全額借り入れにより自宅を建てた旨証言しているが、同人は鉄道員であり、その収入で家族五人の生計を立てていたもので、他に特段の蓄えもなかった(同証言)ところ、仮に原告に出資した株式投資資金があるのであれば、その一部でも建築資金に廻すのが通常であると思われるのに(甲三の4によれば、昭和五八年末現在で、秀範、年和の株式の価額は、取得価額だけでも一〇〇一万円であった。)、全額他から借金をして自宅を建築したというのは、たとえ住宅金融公庫からの低利での借入であっても、その返済を考慮すれば、極めて不自然である。
(四) さらに、年和は、原告に頻繁に金を貸し、その際には借用証を作成していなかったにもかかわらず、株の資金として預けたときに限って、預かり証を作成してもらった旨証言するが、これまた不自然といわざるを得ない。また、原告は、年和から交付を受けた金員のうち一九〇万円を山口銀行や勤務先の共済に預け入れた旨供述し、原告作成のメモ(甲二の2)にもその旨の記載がされているところ、原告は、銀行等への紹介により右に関する事実を裏付ける客観的証拠を容易に提出し得るにもかかわらず、これを提出していない。
以上の事情を考慮すると、秀範、年和から各三〇〇万円の交付を受けたという原告の主張に沿う証拠の信用性は乏しく、秀範、年和が原告に対し各三〇〇万円を交付したことを認めるには多大の疑問があるといわねばならない。
3 もっとも、右各証拠の信用性が極めて乏しいものの、そのことから直ちに右金員交付の事実がないと断ずることも躊躇を覚えるので、以下、秀範、年和が右金員を交付したと仮定して、それが株式取引の委託運用資金として交付されたものか否かについて検討する。
二 原告が、秀範、年和から交付を受けたとする各三〇〇万円の趣旨、運用について
1 仮に、秀範、年和が原告に対し各三〇〇万円を交付したとすると、原告は、これらを株式取引の委託金として受領し、同取引に運用したと主張するので、以下に検討する。
2 争いのない事実及び証拠(甲三七及び三八の各1、2、乙一、二の1ないし3、三の1ないし3、四の1ないし6、五の1ないし4、六の1ないし3、七の1、2、八の1ないし3、一一ないし一六、証人秀範、同年和、原告本人-以上いずれも第一、二回)によれば以下の事実を認めることができる。
(一) 原告が秀範、年和らから株式取引のため各三〇〇万円の交付を受けたと主張する時期に先立ち、また、その事後において―以上いずれも第一、二回)によれば以下の事実を認めることができる。
も、同人らとの間で、右資金の運用条件、株式売買の分配及び清算の条件、配当金の帰属並びに株式の名義書替え等についての明確な取り決め等がなされていなかった。
(二) 原告は、係争各年中を通して、原告名義の株式取引すべてを前田証券において行っているが、原告が秀範らに帰属すると主張する株式を売却した資金が、原告に帰属すると主張する株式の購入資金に充てられていたり、逆に原告に帰属すると主張する資金で秀範らに帰属すると主張する株式が購入されたりしており、両者間の資金及び株式が判然と区別して処理されたわけではなく、その間の混同が著しい(例えば、昭和六三年中には、原告が自己に帰属すると主張する同年三月三〇日の「市光工業」三〇〇〇株((信用現引))二五六万一九七円の購入資金は、秀範らに帰属すると主張する同日の「富士電器」五〇〇〇株三三一万六一三五円の株式の売却代金の一部が充てられている((乙八の2、九の別紙1-1、2-1))。また、秀範、年和に帰属すると主張する昭和五六年三月一〇日の「北川鉄工所」五〇〇〇株((信用現引))一六一万五九四五円の購入資金は、原告に帰属すると主張する同日の「日本オイルシール」三〇〇〇株一一六万六二一〇円の株式の売却資金が充てられている((乙三の1ないし3))。このような取引の混同は散見されるところであり、取引を混同させたことは原告も第二回本人尋問で認めている。)。
(三) 原告は、平成元年二月八日に秀範らに関する株式取引を清算したと供述しているが、その際、秀範、年和に清算時の同人ら所有株式の時価等を説明しなかったし、同人らもこれを問いただしたりしていない。原告が、秀範、年和の所有であると供述する持株の昭和六三年末時点での時価は、平成元年一月三〇日現在の終値で五二八八万五〇〇〇円にも達していたし、その取得価額だけでも二八七五万円であったにもかかわらず、原告は、その清算として、秀範、年和に対し、同人らの持株と主張する株式の一部に自分の持株と主張する株式を加えて、これらを処分した代金で、同人ら名義で各額面八〇〇万円の中期国債ファンドを購入したが、そのことについても同人らには何らの説明もせず、また、同人らへの清算を現金でするかどうか相談することもなく、一方的に国債を購入したと供述している(第一回)。
しかも、原告は、前記ファンドの分配によって、株式取引の清算をしたと供述しながら、右ファンドの通帳は自ら保管し、平成元年八月一八日には原告の判断で右ファンドを解約して秀範、年和の名義で河西工業の株式各一万株を購入するなど従前同様の運用をしている。
3 右の資金運用や清算状況に関する原告の供述や認定事実を対比するとき、本年において、秀範らの分と原告の分についての帰属や配分を明確に区分することは極めて困難な状況にあることが明らかであるから、仮に主張のとおり秀範、年和が原告に対し各三〇〇万円を交付したとしても、その趣旨は株式運用資金としての委託ではなく、むしろ原告が自らの株式運用資金の不足を補うために、秀範、年和からした借り入れにすぎないものと認める方が合理的である。
4 原告の主張について
(一) 原告は、本件株式取引を開始するに当たって、原告と秀範、年和間には、
ア 原告は秀範、年和から預かった各三〇〇万円(年和に帰属させた地産トーカンの株式二〇〇〇株を含む。)を資金として右両名のために株式売買を行う。右売買における銘柄、数量、売買時期の決定は原告独自の判断によるものとする。
イ 株式売買を続ける期間としては原告の定年退職後の適当な時期まで、具体的には昭和五四年の出資当時から一〇年近く経過した時期までを考える。
ウ 原告は、右売買によって得られた利益金及び配当金を、再び両名の投資資金に組み入れ、原告名義で新たに株式を売買する。右売買における銘柄、数量及び売買時期の決定は原告独自の判断によるものとする。
エ 右株式売買によって生じた損失は最終的には右両名の負担とする。
旨の取決めが存在した旨主張する。
しかし、仮に秀範、年和が、各三〇〇万円もの多額の金員を原告に株式取引運用資金として委託するのであれば、いかに兄弟であっても、右委託内容について書面を作成するのが通常であるにもかかわらず、右書面が作成されていないのは不自然といわざるを得ない。また、当事者間で最も関心が高いはずの運用期間と危険の負担についての原告及び秀範、年和の供述等は極めて漠然としたものであり、さほど裕福とも思えない同人らが、約一〇年間もの長い期間その運用を一任する約束を予めしていたとするのは容易に理解し難いし、結果的にみても、三〇〇万円交付後、原告が本件処分を受けて急遽清算したと称する時期までの約一〇年間、何らの配当も手にすることなく、一切を原告に任せ、原告の言うがままであったというのも不自然である。
とりわけ、危険負担については原告が「損失が出た場合は自分が補填する。」(原告本人第一回五七項)、「損をしたときのことはまったく話していない。」(同五八、五九項)、「危険負担の条件については取り決めていない。」(原告本人第二回七一ないし七三項)と供述するのに対し、秀範が「赤字になって三〇〇万円全部なくなっても、それはそれで覚悟していた。」(証人秀範第二回一三五項)、年和が「損が出たら仕方がないので、自分で負担する。」(証人年和第一回五四、五五項)と供述するなど供述内容が相違しており、原告と秀範、年和との間に株式取引について右主張のような委託契約が締結されたとみることは到底できない。
なお、右取決めのア、ウは秀範、年和から原告への各三〇〇万円の交付が金銭消費貸借の趣旨であったとしても何ら矛盾するものではなく、むしろ当然のことであるから、仮に秀範、年和と原告との間に右取決めが存在したとしても金員の交付の趣旨は金銭消費貸借であったと認めることを妨げない。
(二) また、原告は、株式取引の運用においても、株式売買は原告名義で行ったが、内部的には両者を以下の方法で区別して運用してきた旨主張する。
ア 原告は株式売買の都度、原告自身の株式売買と秀範、年和のための株式売買を区別した。
イ 原告は証券会社から送付されてくる売買報告書のうち、右両名に関するものにはHの記号を付けていた。
ウ 原告は、右売買報告書に基づいて、各年度の株式売買状況一覧表を作成し、その際、右両名のための株式売買にはHの記号をつけて原告自身の株式売買と区分した。
エ 原告は、各年の年末に個人別の株式売買一覧表を作成し、秀範、年和の出資及び原告自身の当該年度における各運用状況を管理した。
そうして、原告は右主張に沿った証拠として取引報告書、株式売買明細書等(甲三の1ないし8、四、五ないし七の各1ないし3、八ないし一三の各1、2、一四ないし二一)を提出する。
しかし、株式取引を委託された者が、自己の株式と委託者の株式を混同してしまうと、それに伴う利益、損失も混同されてしまい、清算関係が不明確になり、トラブルが発生しやすいことから、真実株式取引を委託されたのであれば、自己の株式と委託者の株式の混同を厳格に避けるはずである。ところが、前認定のとおり、原告は、秀範、年和に帰属すると主張する株式を売却し、その購入資金で原告に帰属すると主張する株式を購入するなど(逆の場合もある。)取引を混同させている。また、株式取引を委託された場合、委託者が当該時点における株式の資産価値を明確にする点からも、受託者が委託者に報告するのは株式の時価であるのが通常であり、株式取引を委託した者であれば、それに最も関心を有し報告を期待しているはずであるにもかかわらず、原告が、秀範、年和に年末に報告したと主張しているのは、株式の取得価額であって、真実委託者たる秀範らに株式運用状況について報告したとみるには不自然といわざるを得ず、右各書証をもって原告の右主張を裏付けるに足りる証拠ということはできない。
(三) さらに原告は、平成元年二月八日に秀範、年和名義による中期国債ファンドを購入して分配したのは、本件課税処分が行われるため、一応の仮清算を迫られたためであり、その際、原告持株の一部をも売却してその代金を右購入資金としたのは、本清算は、税金の問題が結着した段階で正式にすればよく、仮清算の段階では誰の持株であるのかにこだわる理由はなかったからである、また、各八〇〇万円のみ清算したのは本件課税処分による納税の問題が残っていたからだ、と主張する。
しかし、株式は時価で常時誰の名義のものでも換金できるものであるし、秀範らに対して、同人らの株式そのものを交付して清算すれば足りるのに、あえて混同を生じるような形での清算をしたこと自体不自然であるし、主張する三〇〇万円の金員交付時期が秀範と年和の間で異なるにもかかわらず、両者にまったくの同額の利益を配分したというのも納得し難いことである。また、時価合計五二〇〇万円を超えるものを清算するについて、たとえ納税の問題が残されたにしても、その三分の二以上をもそのために留保するというのも理解し難いことである。
三 結論
以上によれば、原告の株式取引に伴う所得は、すべて原告に帰属し、原告が行った株式売買回数及び数量は、昭和六二年政令三五六号改正前及び改正後の所得税施行令二六条二項の要件に該当するから、雑所得として課税対象となるというほかない。そうすると、原告の係争各年分の総所得金額及び納付すべき税額は、別表五のとおりとなるから、本件各処分に係る総所得金額及び納付すべき税額(ただし、昭和六〇年分及び昭和六一年分については、いずれも平成元年一二月二五日付審査裁決後の金額、昭和六二年分については、いずれも、平成二年二月五日付更正処分後の金額)は、いずれもそれと同一であるか、それを下回るものであるから、本件各処分はいずれも違法である。
また、これに基づく無申告加算税及び過少申告加算税賦課決定も適法であり、更にこれらに基づく被告国の税徴収も法律上の原因に基づくものであるから、原告は被告国に返還請求できない。
(裁判長裁判官 川本隆 裁判官 永松健幹 裁判官 阿部哲茂)
別表一 昭和六〇年分
<省略>
別表二 昭和六一年分
<省略>
別表三 昭和六二年分
<省略>
別表四 昭和六三年分
<省略>
別表五
被告主張の税額等
<省略>